私のせっかちメンターが言うには・・・
悩むっていうのは、答えのでない考えを5分続けたら、「悩み」と言うそうです。
これは私のメンターの個人的なご意見ですが、(せっかちやな!)
確かにそうかもな、と腑に落ちました。
辞書を引くと、歴然とした違いがあります。
「考える」とは?
大辞泉によると
【考える/▽勘える】
1 知識や経験などに基づいて、筋道を立てて頭を働かせる。
㋐判断する。結論を導き出す.
㋑予測する。予想する。想像する。
㋒意図する。決意する。
2 関係する事柄や事情について、あれこれと思いをめぐらす。
3 工夫する。工夫してつくり出す。
ということ。
物事に対して、ある程度の判断材料があったり、見積もりが立てられるものに対しての言葉です。
一方、「悩む」とは?
【悩む】
1 決めかねたり解決の方法が見いだせなかったりして、心を痛める。思いわずらう。
2 対応や処理がむずかしくて苦しむ。困る。
3 からだの痛みなどに苦しむ。また、病気になる。
物事に対して、判断材料もあまりない時、見積もりも立てられない、まさに結論のない有様に対しての言葉ですね。
私たちは、とかく悩むことを考えると混同する
一旦考えるときに「ちょっと時間をください。考えます」って言いますよね。
しかしこれは、実際のところ「悩んでいる」ことになるのでは?
日本語って難しいですね(笑)
ある意味、これも日本人らしい奥ゆかしさの現れのような感じもしますね。
でも、考えるのにも限界のリミットがあれば、それは考えることでしょうし、
考える時間が無制限であれば、それは心の中にずっとある「悩み」になるでしょう。
悩むときって、とことん悩むといいよ!と言われたりします。
確かに一理あります。
究極までしっかり悩むって、本当に大事なこと。
でも、自分で答えを出せないのと、決断できないのとは、全く別物です。
👤「AとB、どっちに決めるか?」ならいいのですが、
👤「どこにも道がない(´;ω;`)」と思いつめていては、後の人生ずっとこれが付きまといます。
私はもう悩み続けるのには…時間が足りません。
そういう時は、どうするか?
昔の私は、
お尻に火が付くまで長々と自分が自分を(最高潮に悩むまで)待ち続けていたような気がします。
でも、もうそんなに時間もありません。
今振り返ると、若いうちから時間を考えて行動に移せばよかったな、と今は思います。
いえ、
ずっと人に聞き続けていたのにもかかわらず、何処にも答えがないと思っていたのかもしれません。
そういう時は、自分の心の中をさまよっている気がしています。
そして心の中で答えを見つけようともがきます。
でも、心の中にはどこにも、答えらしいものはありません。
考えるという事は、選択肢を作ること、そして決める事
現在の私ですが、悩んだ時は、
聞く人を決めておくとか、
こんな場合はこんなジャンルの人に必ず聞く、とルールだけを決めていたり。
自分のルールをきめて、聞いたら、とにかく「考える」。
そしていったん決めて、動いてみる。
それが自分で気に入らない事だとしても、やってみるのです。
考えても考えても、もし、どうしても悩むときは、
その「悩み」がどうして改善できないのか、悩みのもっと奥まで深堀する必要があります。
あなたの悩みが一体、心のどこから来ているのか、しっかり見ていく必要があります。
ひとりで悩み続けることがあったら、誰かの扉をたたきましょう。
あなたの輝く人生を応援しています。
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